だれかとごはんをたべることは、だれかとじんせいをつくること。



もぐもぐ考える
folkesangをうたいながら :: 2013/09/28(Sat)




languageって、
思っているよりも もっと自由なのかも

と思った。

あたし、英語を見たり聞いたりすると
まず翻訳マシーンみたいに日本語に訳そうとする癖がついていた。

それじゃあ限界があるってことに気付いたのであーる。

どんな文化のなかで生きてきたかによって
感覚ってのは違うものだ。
だから使う言語も違う。
日本のなかでさえも、方言というものがあって、表現のしかたが違うもんなあ。
阿波弁の"だすい"は"不味い"でも"味が物足りない"でもなく、"だすい"のだ。
(EnglishやDanskで例えたいのにシチュエーションを思い出せない。、)

その感覚の違いを知覚すること、受け取ること。
既知のことばとムリヤリ結び付けるのではなく、
相手個人の感覚とことばの響きから、云わんとせんことを感じとること。

だから、
あたまのなかで、日本語に翻訳してしまう前に
そのことばの色とか艶とか形を眺めてみようとおもった。


とにかく、
言語ってのは、もっと自由でやわらかで、感覚的なものだ とおもったんだ。

(もちろんセオリーはあるし、きちんと理解したうえで使うことは大前提としてある。)


ことば も アート とおなじだって、思ったってこと。


いろんなlanguageに触れる日々のなかでかんじたこと のひとつ。



もっと

軽く

じゆうに

既成概念というフェンスを跳び超えたい。



からだの使わないぶぶんを、もっと使いたい
とヨガをしながら思ったのでした。



satoko



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