だれかとごはんをたべることは、だれかとじんせいをつくること。



もぐもぐ考える
おいしいごはんのたべかたを知るために :: 2013/10/24(Thu)

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いろんなことを感じて
かんがえて
たくさんありすぎて
たれながれて
まとまりません。
ほんでも
きっと根っこはおなじで、
いつもと変わらないことを
ちがう形でぐるぐるとめぐらせているんだろうな。


きみとはなしがしたいなあ。と、ぼんやり思うのでありました。
魚のような友だちが、だいすきやなあ。
がらすのさかなのような、わたしの友だち。
いつもありがとう。


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(Photo:信仰とはなにか をおもった)




触れる こと。

こころは何処にあるのか というはなしで
だれかがこんなふうなことを言った
” こころは、触れ合ったもの同士のあいだにある ”。

ペンと紙のあいだに
考え事をする人が組んだ腕の中に
つないだ手と手のあいだに
つむったまぶたの中に


” 繋がる ” ことの必要性って、ここにあるのかなあ。
と、ふとおもった。


恋人と友だちの違いって、
触れあいの度合い が大きいとおもうなあ。

小学生の頃は、ともだちと手をつないだり一緒に寝たりぎゅっとしあったり、
まるで恋人同士みたいに仲良くぴったりくっついて過ごしてた。

おとなになっていくにつれて、
ともだちと手を繋ぐことも、おんなじ布団で寝ることも、じゃれあったりしばきあったりすることも、どんどん減ってった。それは
昔よりも友だちとの距離感が大きく感じることに影響しているとおもうのだ。

海外で生活していて
ともだちとハグをしたり、ほっぺにキスをしあったりしていると
自然とこころを許し合える仲になれる(少なくともそんな気分になる)。
言語でコミュニケーションできない隔たりが距離感を生んでいるけど、
それを気にしない部分では、とても距離が近い関係ができている(気がする、わたしは!!!)。

ちいちゃなこどもと仲良くなる過程と一緒だなって思った。
手に触れたり、だっこしたり、あたまわしゃわしゃってしたり、顔を近づけたり、
ちいちゃな子と遊ぶときって、相手に触れることがすごく増える。
だから仲良くなりやすいのかもしれない。


” からだとこころはつながっている ” のだから
そりゃあそうでしょうと言えるのだけども、
なかなか気づかないことなのかもしれない とおもったのでした。




” 繋がる ” こと(物理的な接触以外も含め)に幸福をかんじるのは
そこに、こころを見つけるからなんだなあ。








ひとつ歳をとりました。

誕生日をむかえるたびに、誕生日ってなんなんやろって思うけど
お祝いをしていただけるというのは、やっぱり嬉しいことです。

海外で記憶とばすほど楽しいお酒が呑めると思っていなかった。
たのしいはランゲージの壁をひょいと超えてコミュニケーションする。
文明とかいろんなものを置き去りにして共有できる瞬間がある。
ハッピーコミュニケーション。

にほんからも、いろんな形で気持ちをいただけて
うれしかったです。

Mange tak. ありがとう。



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ハグしてキスして生きていこうぜ!(チキンハートの願望)



satoko



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